映画: 『教皇選挙』

日本上映中に実際に教皇が死去するというミラクルを起こした映画、『教皇選挙』を見てきた。(半月ほど前に)


  • 首席枢機卿として選挙を取り仕切ることになったローレンスが最初に行った演説(説教)でテーマとして取り上げた確信と疑念が、そのまま本作――もっというと現実の信仰におけるテーマとなる
    • 確信こそが信仰の敵である
    • 自身の正しさに不安を感じるからこそ信仰が存在する
    • 疑念を持ち続けることは「正しい」
  • 一方で、責任のある立場(聖職者は羊飼いと農場管理者に分かれるが、枢機卿は農場管理者でなければならない)である以上、疑念を持ちながらも決断を続けなければならない
    • (これはある種「お仕事映画」の側面を担保していたようにも思える。中間管理職は涙なしには見られない
    • 様々な葛藤があり、妥協があり、その中でより「マシ」な意思決定を行わなければならない
    • 神やキリストを信仰していても、結局決断は自身で行わなければならないというのは印象的
      • それでも投票時に胸に手を当てて宣誓しているのはなにか示唆的であって
  • ストーリーについて言及はしないが、そういった疑念や妥協にまみれた展開の中で次々に決断を迫られるが、最終的にはある種「えいや」で物事が動いてしまう
    • もちろん「えいや」のその後が語られることはなく、彼らはこれからも葛藤し、決断し続けなければならないという事実だけが余韻として残される

自身の心に曇りはなく正しい行いのみを実行できている人などいないし、仮にそうであればそれは確信の人であって信仰から最も遠い人物である。自分の心が分からないからこそ信仰は必要であり、それは子羊でも羊飼いでも農場管理者でも変わることはない。