Kindle Unlimited で読んだ。徹頭徹尾詩的な本だった。
実際に観察する前に理解する力、それが、科学的思考の核にある。
科学のもう一つの深い根っこ、おそらくそれは詩だ。詩とは、目に見えるものの向こう側を見通す力のことである。
古代の哲学者からアインシュタインまで、観察はすべて後からやって来る。今の最前線の思考(詩)が一般に受け入れられるのは、後に観察されてからになるだろう。
さて、科学史を扱う本を読むと必ずアインシュタインが何を言っているか分からないところで終わる。しかし本書ではアインシュタインの理論まではかろうじで理解できた気分になった。その先は意味不明だったが。
おそらく詩的表現があまりに豊かで分かった気にさせられたのだろう。現代の最新の詩は後世の詩人がまた理解できる詩に再構築してくれるだろう。私が生きている間にそれが来るかは分からないが。
本書ではまず時間というものが、「世界をぼんやり見ている」ために生じる概念であると主張する。これは「世界を記述する基本方程式」において時間の概念は熱・エントロピーが関わるときのみ現れるという事実を根拠にしている。
つまり、熱という概念やエントロピーという概念や過去のエントロピーのほうが低いという見方は、自然を近似的、統計的に記述したときにはじめて生じるものなのだ。
事物の基本的な原理では「原因」と「結果」の区別はつかない。この世界には、物理法則なるものによって表される規則性があり、異なる時間の出来事を結んでいるが、それらは未来と過去で対称だ。つまり、ミクロな記述では、いかなる意味でも過去と未来は違わない。
続いて、われわれが当たり前に捉えている時間というものが、いかに曖昧で不確かなものであるかをひとつずつ説明する。
- 家系図において祖先と子孫は明確に区別できるが、祖先でも子孫でもない人々は「過去」と「未来」の外側に存在すると言わざるをえない
- 世界に絶対的な基準となる時間が存在するという感覚は、実はそれほど歴史は長くない
- 鉄道が生まれ、異なる土地の間で時刻を同期する必要が発生するまでは、街ごとに時計が存在すればよかった
- 科学的には、ニュートンの物理学までは時刻
tは存在しなかった - アリストテレスはむしろニュートンとは異なり、時間というのは出来事との関係として時間を捉えていた(何も起きなければ時間は存在しない)
- 突き詰めていくと量子物理学において時刻
tは存在しない
このように時間の概念を崩しきった後に、であれば時間に意味はないのかというとそんなことはない、むしろ時間に意味を与えるのは人間に与えられた自由である、豊かさであるとして締める。本書の最初からずっと物理学に閉じず、時には人の死にも字数をかけて言及していたが、その伏線が見事に回収される結論だったとも言えるだろう。
非常に面白かった。